2012年10月 8日 (月)

シンガポールのゴミ事情について調べて分かったこと

7 types of recycling at HDB housing estates in Singapore. 2011年1月25日

シンガポールのコンドミニアムと呼ばれるプライベートの住居にはキッチンにダストシュートがついており、ダストシュートに入る大きさであればいつでもゴミが捨てられます。分別なしで袋に入れてポイするだけ。

町を歩いていると時々分別ごみ箱がありますが、おしゃれな繁華街ど真ん中にあり、家庭ごみまで持ち込んで捨てるような雰囲気ではありません。

こんなに全部いっしょくたにして捨てるなんて罪悪感でいっぱいで、シンガポールのゴミ問題はとても気になっていたのですが、Zero Waste Singaporeというウェブサイトでこんな記事を見つけました。

シンガポールのHDB(公団住宅)での7種のリサイクル方法。

HDBは政府が住宅政策の一環として価格をコントロールしており比較的安価で手に入る公団住宅で、シンガポールに住む80%以上の人が入居していると言われています。以下が7つの方法です。

1)環境省が2001年から始めたリサイクル計画により、ゴミ回収業者を介して指定ごみ袋を住人に配布し、2週間に一回各戸の玄関脇に置かれた資源ごみを回収。

2)2007年8月から開始された中央集積所。HDB5ブロック毎に回収箱が設置され、そこまで持っていけばいつでも捨てられるというもの。

3)交換リサイクル。住民の会によりリサイクルステーションが月に一回設置され、資源ごみと現金や食料の引換が行われる。

4)仏教を母体とした団体により、毎月第2日曜日午前中に資源ごみの回収が行われる。分別などはボランティアによる。

5)学校が専門業者と一緒に新聞や古着のリサイクル回収を行う。

6)ゴミ回収を生業とする各人、各業者が個別に訪問しリサイクル出来るものを回収する。

7)貧しいお年寄りなどがゴミ箱の中のリサイクル可能なものをリサイクル業者に売りに行く。

 

2011年の統計では、59%がリサイクルされており、ゴミの総量は増えているもののリサイクル率も上昇しているそうです(二つは並行に増加)。

思っていたよりもシステムが出来上がっていることにびっくり。でも自分の捨てているゴミについては、まだ気になって仕方がない。

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久しぶりに

ブログを開いてみました。

今シンガポールに住んでいます。冒険とは無縁の生活です。

思いついたことを更新していきたいと思います。

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2011年2月24日 (木)

Pecha Kucha Night Vol.80!!

Thank you everyone who came to PNK and reached my blog!

I had such a great time to share my experience with you.

At this moment, I don't have any project going on, but I am thinking about make a move.

Anyone who has idea, please let's share, and make the world move!

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Good evening, I came here tonight to share my stories with you. I call myself as a story collector who travels around the world and collect stories from people living in various settings. I am interested in collecting story about what people feel happy about especially in difficult living conditions.

As I am an emergency doctor, I had several opportunities to go to areas where it is normally difficult to access.

I went to refugee camps in Kenya from April to July in 2008. I had really good time to work there, but it was rather hard for me to find happy stories from people during my stay.

The refugee camp I visited is the world largest refugee camp, hosting approximately 300 000 people mainly fled from Somalia. I worked as a general physician at hospitals in the refugee camp.

To tell you the truth, I had never seen babies dying daily even if I have been working as an emergency doctor dealing with critically ill and injured patients at ER, I could not get used to the fact I cannot do anything but let them go knowing most of the diseases are curable in developed nations.

One day I saw a baby gasping due to pneumonia. I was switched to ER doctor and tried my best to help the baby. But actually there was nothing I could do. There is no intubation tube, no ventilator, no machine to suck phlegm, in fact, there was no electricity in the hospital. I felt myself completely useless holding a baby in my arms and letting him go.

A local doctor suggested me to go to an operation room in the main hospital. I called a car and rush to there, and on the way, I had to pick up another new born baby who stop breathing soon after he was born. I kept on tapping them to keep them alive. Finally when I get to the operation room what I saw was just a store-like room with an operation table and a tank of oxygen. I put two babies on the table and gave them manual ventilation for each in turn. As long as I kept on doing that, they sometimes open their eyes and gasp by themselves, but once I stopped, they stop breathing and their facial expression turned to be like dolls made from clay. In the mean time, their mothers are in the operation room and sit on the floor and chatting to each other. And they opened up packets of pancake, beans, milk tea and started having lunch next to their dying baby. A moment passed and mothers claimed that they want to go home. I somehow accepted that I should finish this because this treatment is leading the babies to nowhere. Mothers took their babies and went home. Soon after both of them died.

It was my first day at the camp.

And similar things happened every day. I felt pain every time a baby died, and I could not accept that mothers do not express sadness to their babies’ death. One day I asked to the local staffs why, and the answer was that due to their belief, they are ready to accept anything happened because it is lead by God’s will. I also saw many mothers refusing having cesarean section and die in pain with her unborn baby.

I was so frustrated and got so anxious to change something for them. But during the 3 months, I gradually understood that their living condition is extraordinaire and far beyond my imagination and there was a reason behind it.

When I went to a village right next to Somalia where refugees were first put under a protection. Their gaze was sharp like stabbing, my skin felt warning signals released from their body. Those were the people who went through all the man made tragedies happen in anarchy (where there is no government) and survive the exodus by drinking muddy water, delivering babies in the bush, fleeing from danger of wild animals. On the way back from the village, I saw the darkest night on the earth in the middle of nowhere, heard roars, and kept on worrying what may happen if our car broke down. I felt myself so tiny, fragile and powerless in this wild world, and somehow understood why people accept anything happen to them. There is no time for them to regret or stick to something they used to possess.

They are not the people who don’t feel anything, but they are the people who know how to survive and develop their way to protect themselves. At the beginning, I did not understand that, but now I can see more beauty, strength and discipline in their mind.

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2010年5月28日 (金)

久しぶりの更新です。

12月末に帰国し早5か月。毎日シャワーが浴びられて、炊飯器のスイッチを押すとご飯が炊ける生活を夢見ていた身には日本での生活が幸せすぎるほど。。。

帰国して実家でつかの間の休日を味わい、身一つで神奈川へ。

2カ月間病院の病院暮らしを経て、ようやく家が決まり引っ越し。

今は全く日本人として普通の生活を送っています。

日々の仕事は忙しいけれど、家でご飯を食べて、お風呂に入って、映画を見て、洋服を買って、洗濯して。。。普通の生活が楽しくて仕方ない。

スペイン語とチェロの練習も始めました。

仕事を始めて9年目にして初めての安定した生活。

しばらくはここに根っこを張って、楽な方に楽な方に流れていこうと思います。

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2009年12月27日 (日)

そういや世間にはクリスマスなんてイベントがあってたな~なんて今頃思い出したのだけど、しかし今日は何日なんだ?

出発の前日だから26日?ってこと?

毎度のことながら、準備をぎりぎりまで先送りしていたため、今は大荷物の真っただ中です。

グータラなのに潔癖も同居しているとう何とも面倒くさい精神構造をしているため、洗っていない服を詰めるのは最小限にしたく、ぎりぎりまで洗濯機を回し続けた結果、寒いカイロでは1日では乾ききれない洗濯物にひたすらアイロンをかけるという不毛なことを、まだまだまとめなければならない荷物の真っただ中でやっています。

置いていけるものは置いて行ってバザーに出してもらう予定なのだけど、今回は珍しくお土産が多いので、これまでの私の荷物になかったカテゴリーのものがありすぎると一気に片付け許容量を超えて途方にくれてしまうのです。

お土産と言っても病院に持って行くもので、悩みに悩んで買ったお菓子とお茶それぞれ4箱なのだけどなんだかそれだけでスーツケースがいっぱいになるような気がして、スーツケースの残り容量と部屋に広がった荷物たちを見比べてはため息をついてお茶などを飲んでいるという状況なのです。

入るような気もするし入らないような気もする。

頭の中でのシュミレーションだけで疲れ果て、実際には空っぽなスーツケースを前にして現実逃避ばかりしている。

とりあえず、絶対に持って帰らなきゃいけないものから詰めてみようか。。。

ていうかそうするしかないんだけど。。。

重いスーツケース、入りきれない荷物たち、という現実に直面したくない!

でもやるしかないよね。。。

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2009年12月25日 (金)

エジプト最後の大立ち回り

世の中で一番信じられないのは「エジプト人」と中東をよく知る人たちはいう。

とはいえ始めからそう決めつけるのはいかんいかんと心に念じてエジプト生活を送ってきたのに!

最後の最後でしてやられました。

もちろんこの3か月の間に、平気でうそをつく人、高い値段を吹っ掛ける人、タクシーで目的地に連れて行ってくれない運転手、知らないくせに知ってると違う道を教えてくれる人、石を投げてくる少年、歩いていると車で後をつけてくる若者などなどなど

数えきれないほどムカつくことはあったけど

でもまだ一見さんはしょうがないとぐっとこらえてきた。

しかし今回トラブルになったのは大家さんと。

ぼろぼろの家だったけど、きれいに使ったし、最後はお掃除のおばちゃんに余分にお金を渡して仕上げの掃除までするようにお願いした。

前の人が払っていかなかった3か月分の電気・ガス・水道代も、払わないと止めると脅されて払った。

管理費も遅れずに収めた。

なのに!

デポジットで払った1000ポンド(17000円)と引き換えに鍵を返すという段階になって大家がとんでもないことを言う。

デポジットは返さないし、クリーニングと管理費をさらに払えと。

大家のおばはんは英語が喋れないので、英語の分かる大家の娘さんに電話越しに通訳してもらいながら交渉するのだけど全然埒が明かない。

クリーニング代はすでに払ったし、管理費が必要ならデポジットから差し引いてくれればいい、というのに、まずは私が管理費を払わないとデポジットを返せないとむちゃくちゃなことを言う。

こんな場合、払ってしまえばまずデポジットなんて返ってこない。

大家を前にして電話通訳でのやり取りは全くうまくいかず、延々とやり合った挙句に私のりリミッターが振り切れ、大家に電話を投げつけたのを皮切りに大喧嘩になる。

たかが17000円かもしれないけど、エジプトでの金銭感覚からすると10万円くらいの価値がある。そんなものを簡単に騙しとられてたまるかと大立ち回りを演ずる。

運よく、悪徳大家は私に断りなく次に部屋を借りたい人たちを見学に連れて来ており、さらに運よく英語の分かる彼らの前でこの大家がどんなに腹黒いかを滔々と聞かせ、エジプトは最悪だの、何もかもうまくいかないだの、エジプト人はうそつきばかり、だのいろいろ大声で叫んだらすっきりしてきた上、周りの人たちがとりなしてくれて、デポジットが返ってくることに。

大家は黙って鞄から950ポンド出す。

準備してるんなら何ではじめから出さず、こんなことに1時間半もかけるのか。全く理解不能。

お金を受け取ったが最後、捨て台詞を残してドアをバシーンとたたきつけ家を後にする。涙がボロボロと出る。こんな家二度と戻ってくるかー!とエスカレーターで叫ぶ。本当に早く引き払って別に住む所があって良かった。。。S先生一家のおかげで。

喧嘩の疲れとストレスで箍が外れてしまって、涙が止まらない。

通りを大泣きしながら歩く。人が振り返るけど全然気にならない。泣いてても泣いてなくてもどうせいつもじろじろ見る人は見る、ついてくる人は付いてくる。勝手にしろエジプト人、と黙々と歩く。

タクシーを拾って家へ。行き先を告げると「いいよ」といったのに、乗ってしばらくしてから「ミダーントリアンフってどこ?」みたいなことを聞き始めるので、「ミダーントリアンフはミダーントリアンフだよ。知ってるって言ったから乗ったんじゃん」というと「そんなの知らない」と言われしまいには何故か運転手は私がアラビア語を喋れないことについて怒鳴り始める。

完璧に頭に来ていた私は「ここで降ろせ」と2回警告し、それでも走りやめなかったので、走っている車のドアをバーンと蹴り開ける。と慌てて停車。「わかったわかった。ミダーントリアンフ知ってるよ」と運転手。静かになって走り続ける。

どいつもこいつも。何で無謀なかまばかりかけてくるんだろう。

やっと帰宅。

大家にかまっていてすっかり時間がなくなってしまったので、急いでルクソール行きの準備をして、家を出る。

もちろんまたタクシーが拾えない。

家からだと空港まで20分くらい。タクシーだと10-15ポンドで行けるのに、拾うタクシー拾うタクシー、「30ポンド」だの「40ポンド」だのふっかけてきて欲の皮のつっぱった人たちばかり。何とか20ポンドのタクシーを見つけ、乗り込む。

叫び疲れ、泣き疲れてぼろぼろになって空港に行く。

ルクソール・アスワンの弾丸3日間の旅。文字通り抜け殻のようになって、まわってきました。

観光地なので客引きもひどく、でも覚悟していたのと、カイロ生活で料金の相場が大体わかっていたのとで、それほどひどい目には合わず。

遺跡は素晴らしく。本当に素晴らしく。(なんで人はこんなにひどいのか・・・)

帰りの寝台列車では何の問題もなく、良く眠れ、無事帰ってきた時には何とか精神的ショックからは復活していました。

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2009年12月22日 (火)

今日のほぼ日「ダーリンコラム」は”虫歯のない会社宣言”でした。http://www.1101.com/darling_column/index.html

ほぼ日を読んでいて、疑問に思っていたことがあったのですが、最近の糸井氏は健康に関心を持ったり、質の良いものにこだわったり、虫歯を治したり、そういうことに興味があるようなのですが、これは果たして糸井氏が年を重ねて成長して達した境地なのか、あるいは社会が徐々に成熟しているのか、ということ。

というのは、60歳くらいの糸井氏が考えていることは、同時代に生きている若い人も同じように考えており、年齢という縦軸で達する考えというよりは、同じ時間を生きている人たちに共通する横に広い考えという気がするからです。

例えば糸井氏は時代の寵児としてずっと先頭を走ってきた人ですから、いつだってお金をかけて歯を治すこともできたでしょうし、素材にこだわって美味しいものを食べることもできただろうと思うのです。

しかし70年代80年代はそれをしなかった(推測)、ということは、優先順位がそこにはなかったのかもしれませんし、時代がそういうサービスを提供する環境になかったのかもしれません。

最近では歯科矯正や歯の治療にお金をかける若い人たち、特に20代30代の自分の働いて得たお金を使って健康に気をつける人はたくさんいますし、むやみやたらに高級料亭を有難がらず外食も家での食事も同じように大事にしている人も増えてきたように思います。

欧米では歯並びの良い手入れの行きとどいた歯がステイタスの象徴となって久しいですが、日本ではそれほどまで重視されてこなかったように思います。

日本は豊かになったとはいえ、その発展があまりに急激に起こったため、1970年代生まれの私たちは貧しい時代というのを全く知りませんが、1,2世代遡ると全く違う価値観を持つ世代の人たちがいて、そういう人たちがごっちゃになって日本の社会を作っているのだと思うとびっくりします。

そしてところてんを押し出すように、社会の中心は徐々に次の世代へと受け渡され、10年20年単位で少しずつ社会全体の価値観が変わっていっていても不思議はないと思います。

だから糸井氏の価値観の変化は、個人の変化でもあり、社会全体の変化でもある。

右肩上がりの成長から、成熟期に突入して、社会は低成長とは言われているけれど、お金を物に使う時代から、もっと別のサービスに投資する方向へシフトしていく変化をここ数年ひしひしと感じます。

だからものが売れない、というのも、あと10年ほど経って見ると、他のサービスを消費し始める移行期であって、丁度変化の真っただ中だったんだなと思える日が来るのではないでしょうか。

ちなみに私もエジプトで歯科治療を受けることになり(何とか日本に帰るまで持たないかと思っていた気になる歯があったのですが、待ち切れず)今日やっと終わりました。

日本に帰ってからは、新しい仕事のこと、引越しのことなどなど気になること、お金のかかることはたくさんあるのですが、ひとまずは健康診断に行って(ピロリがいるのでは、と気になっているので)、歯医者さんに行って、体の調子を立て直すことに専念したいと思います。

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インターン終了!

WHOでのインターンが後残すところ1日、となりました!

はじめの2ヶ月は思うように行かず泣き暮らす日々でしたが、徐々に「これでいいんだ」とやってきたことに納得できるようになり、また良い友人・同僚にも恵まれ最後の1か月は何とか乗り切ることができました。

オフィスの内外でたくさんの友達もできたし、結果オーライです。

ちょっと持ち越してしまう仕事もあって、日本に帰ってしばらくは書類を仕上げねばならないのですが、これだけに没頭してきた3か月間のつらさを考えると、病院で働きながら頭を切り替えて書類仕事をするというのもまた新鮮でいいかなーと思います。

オフィスからはいろいろとオファーを頂いたのですが、何しろ忙しい方たちなので(インターン中に身に浸みて分かる)どこまで実現可能なものか。

日本に帰ってからなるべく集中して今の仕事を早く仕上げて、向こうの反応を待とうと思います。インシャアッラー(神のご意思で)というフレーズが本当にしっくりくる国。

明日仕事が終わってからは、部屋の片づけ、支払い、洗たく、3日間旅行に出かけるなどして、エジプトを去る総仕上げに入ります。

離れるとなるとさみしい。

けど日本に帰るのがとてもとても楽しみです。

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2009年12月16日 (水)

リポートが一向に終わりません。

今日はオフィスには行かず、家で缶詰めになってます。引っ越したお家はインターネットが使えるので。オフィスの密閉空間と違って、お茶を入れたり、ちょっとテレビをつけてみたり、気晴らしが出来るので割とはかどる。

英語の文章を書くうちに単語がブロック状に見えるようになってきました。以前は作文する時は、編み物をするように糸を紡ぐように文章を書いていたような気がするのですが、お役所的な文章を読み書きしているうちに、レンガを積み上げるような四角四面な文体に。

多分これまで多く出されている国連関係の文章は、英語を母国語でしゃべらない人の手によって書かれることも多いから、行間を読ませるようなこなれた文章ではなく、必要なものが文字として全部盛り込まれるような文になっているのでは、と気づく。あるいは意図的にそうしないといけないのかもしれません、文化背景の違う人たちが読んで同じように理解してもらうために。

必要なことを全て言葉で盛り込んでいく作文法だから、レンガを積み上げる職人の気分になってくるのか。。。

ヘリオポリスでの生活はなかなか快適です。

直近のマーケットはMetroというお店なのですが、これまで行っていたローカルなお店と違って品が良い。値段もよい。

マッシュルーム一つとっても肉厚でぎっしりしている。

マッシュルーム、トマト、キュウリ、サンドライトマトでサラダを作って食べるのだけど、マッシュルームがハムのような触感でとても美味しい。バルサミコ酢とオリーブオイルのドレッシング。

エジプトに来て美味しいからとひたすら食べ続けたトマトとキュウリだけど、寒くなってさすがに体が冷えるんじゃないかと思いだす。そろそろやめようかな。

家の近くの交差点にはチキン屋さんもあって、蒸し鳥のフライドチキンを売っているのだけど、結構おいしい。KFCよりも格段に。

探検してみようとも思うのだけど、寒くて暗くてなかなかそんな気分にもなれず。やっぱり家で自炊を続ける。

今晩はパキスタン人の友人の家に遊びに行く予定。小舟に乗って遊覧した後、おうちでパキスタン料理を食べるのだそう。楽しみです。

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2009年12月15日 (火)

暖まってます

Img_4165 本当は冷たい

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